1778年にキャプテン・クックがハワイ島に上陸して以来、何百人もの宣教師、貿易商、移民、実業家たちが後に続き、ハワイ音楽の音色に影響を与えることになりました。
ヒメニ
ニューイングランドから渡った長老教会派が1820年代にハワイに入植すると、ハワイ語でヒメニ(Hīmeni)と呼ばれた「ヒム hymns(賛美歌)」が島の音楽に影響を及ぼすようになりました。賛美歌をハワイに広めた人としてもっとも知られるのが、ハイラム・ビンガム牧師です。彼は聖歌学校を設立して賛美歌の唱歌集を出版しました。後に優秀な翻訳家・詩家であったロレンゾ・ライオンズが彼の役割を引き継ぎました。
オーケストラ
1872年にドイツからホノルルに移住した音楽家・楽団指揮者・作曲家のヘインリッチ・”ヘンリー”・バーガーがハワイ音楽の変容に与えた影響は大きかったです。西洋文化との接触以降、賛美歌の影響色濃かったハワイ音楽は、彼の出現により世俗音楽の形を取り入れたものへと変貌していきました。
バーガーをハワイへ呼び寄せたのは、ハワイ王国楽隊「ロイヤル・ハワイアン・バンド」を指揮することを希望したカメハメハ5世でした。要請にこたえ、バーガーはハワイで多くの楽曲を作り、楽隊を管理しました。
ハワイアン・ミュージック・レコーディング
20世紀に入ってハワイの音楽が商業的に録音されるようになると、その独特のサウンドは海を渡りメインストリームの音楽として人気を博すに至りました。米国のレコード会社が最初に録音したのは『アロハ・オエ』『ハワイ・ポノイ』『トミ・トミ』などの楽曲でした。1935年から1946年には「ハワイ・コールズ」というラジオ番組がモアナ・ホテルから世界へハワイ音楽を広めました。その波はニューヨークまで届き、ティン・パン・アレイの作曲家・音楽家たちに多大な影響を及ぼしました。
ハパ・ハオレ
1915年から40年間に渡って人気を博したメロディアスな音楽スタイル。ハワイ語で「ハワイアンと白人の混血」を意味します。音楽用語としては、英語の歌にハワイ語が散りばめられた曲を指します。ハワイについて歌うこれらの曲は、ロマンチックでノスタルジック、ときにコミカルであるという特徴を持ちます。ハパ・ハオレのコンポーザーとして著名なのは、サニー・カンハ、ヘンリー・カイリマイ、ジョニー・ノーブルです。